問答形式で分かやすく!挽物・木の器・木地師の話
- Q.電話の対応が要領を得ない。
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耳が遠い年寄りが応対しますので、会話にならないことがあります。申し訳ありません。
電話はできるなら避けてください。メールが最も的確に返答できます。しかし、メールを読む頻度はおおよそ1日1回ないし2日に1回ですので、返答が遅くなってしまいます。その点もあらかじめご了承ください。
- Q.在庫がないなら最初から画面に出さないでほしい。
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注文メールをいただいてから、在庫を調べるのは本末転倒だというご指摘です。至極当然のことで、大変申し訳なく深くお詫び申し上げます。
在庫管理が不行き届きであることは認めねばなりません。経験上、3、4割は在庫がない可能性があることをあらかじめご承知おきください。ご迷惑をおかけいたします。
- Q.黒柿が登録直後に売り切れる。売切表示が遅く配慮が足りない
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いくつか同じ趣旨の問い合わせをいただいています。やはり多くの方が要望されているため、ご迷惑をおかけする事態となっています。
大変心苦しく思っていますが、なかなかいい方法はありません。公平にご購入いただくためだからといって、オークションという方法を取りたくはありません。価格をいたずらに引きあげるのは、これまで同様のものをご購入していただいた方のことを考えると、できません。こう書くと冷たいのですが、ちょくちょくWEBをチェックしていただき、巡り合わせで購入していただくしかありません。更新頻度はおおよそ1カ月ないし2カ月となっていますが、黒柿についてはそうそう追加できません。適当な価格の材料さえ見つかれば、作りたいと考えています。どうかお許しください。
- Q.店で商品を取り扱うことはできますか?
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卸値で提供できますかということだと思いますが、大変申し訳ありませんが、それはできません。これまでお客さまに直接売ることにしていて、そのスタイルを変えるつもりはありません。
いわゆるギャラリーを経営され、名もなき作家のすばらしい商品を発掘して、買い手との仲立ちをする方々のなかには、本当によくやってくださる方がいるのは承知していますが、私はもうこの歳ですからそこそこ売れてごくふつうの生活できればよいのであって、特段の営業をするつもりはないのです。銘木の品が売れても、実際にはその数だけ増産するということができるわけがないのです。とにかく材料が激減していますので、そうそう作ることはできなくなっています。
- Q.東京で展示会を開かないのですか?
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東京には潜在的に銘木挽物ファンの方がいらっしゃって、そういう要望があることは承知しています。
私自身、この歳ですから、もう一度最後に東京で展示会が開けたらいいなと思うことがあります。2尺超いや3尺超の大盆をそれこそ10枚も20枚もずらりと並べたり、ため息が出るような極上の杢盆を飾ったり、究極の銘木挽物といえる南天香合や南天棗をさりげなく置いたり。そして、銘木のかけらである急須台や豆皿を一面に2百枚いや3百枚でも広げて、銘木好きの方々を圧倒させたい、という気持ちがないではありません。一部屋を銘木挽物で埋め尽くせたら、それはもう本望であります。
「これが漆器でなく挽物」「漆を塗るとは木の器を仕上げる一工程。なぜそうも簡単に塗るか。塗っても塗らなくても木の器はそれだけで完結するのでないか」という挑戦的なメッセージを大東京で投げてみたい気持ちもあります。
しかし、東京に展示スペースの伝は今のところありません。費用も結構かかってしまい、なかなか踏み切ることはできません。いましばらく検討を続けさせてください。
- Q.拭漆は木目を美しく浮かび上がらせるのでは?
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教科書には、拭漆によって、木の柔らかい部分と硬い部分に色の濃淡が出て木目が際立ち、木の個性が引き出されるとあるのでしょう。しかし、それは漆の良さを強調するときに使う常套句のようなもので、やや一面的な見方です。漆を塗ることで、木目と木目の間にある木肌に潜む光沢は、見えなくなります。木目というラインばかりにとらわれると、木肌の輝きという大切な個性を見落としてしまいがちです。たしかに杉や栃など白い材は拭漆で木目が浮かび上がりますが、欅の杢ものなどでは漆によって木本来の光沢が犠牲になると考えています。
何度も繰り返して言いますが、塗る塗らないは論争するようなことではなくて、使い手の好みでよいと思っています。
- Q.素木を重視といいながら最近塗りも見受けますが、なぜ?
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タモ、栓、栃などは白い木肌なので、塗りかどうかとても迷う材です。塗ると木目が浮かび上がる場合は、触感を少々犠牲にしても鑑賞する価値が上がるので、塗りを選択するのです。しかし、木目が本当に浮かび上がるかどうかは、塗ってみないと分からないし、塗ったあともしばらく置かないとその結果は変わりません。
塗らない器というのは異端だという見方があります。漆器がジャパンと呼ばれる国ですから、大局的にみるなら、異端でありましょう。しかし、木という素材を単なる材料として見るのでなく、触れてみて、その色の移ろいまで鑑賞したいというこだわりのある人にとっては、塗りは不可欠なものではないはずです。
塗りについて深く考えてみたい方は、桑材を観察してみてはいかがでしょうか。桑の経年変化は本当にすばらしいもので、銘木の通が、塗らない桑を好む理由が分かるでありましょう。
- Q.ぜんまいがんなを譲っていただけませんか?
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ぜんまいがんなは、挽物師それぞれの癖があり、私自身は自分が使う分だけ、自分の好みの形状に作っているので、残念ながらお譲りできる分がありません。そして、ぜんまいがんなを使う以上は、研ぐための櫛状の研ぎ石も用意しなければなりません。
木工旋盤では、とても多種類のバイトが市販されていて、そちらを探された方がいいでしょう。
- Q.素木が高値で漆の塗るものがなぜ安いのですか?
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当工房で作るのは漆器ではありません。あくまで木の器であって、たまたま漆を拭いたものがあるだけです。
本当に素晴らしい木の器の場合、漆は塗りません。
漆器と木の器の差異を分かっていただきたいと思います。漆器というのは素地が木でもプラスチックでも紙でもよく、もちろん木が一番なのでしょうが、結局主役は漆なのです。どんな漆をどんなふうに塗るかが問題なのです。
木の器というのは、素地の木そのものが主役であって、塗るという行為は付随的なものです。素晴らしい素材ほど塗らない方が価値があると、私は考えています。実用性の観点から、塗らなければ実用的でないという方もいますが、素木のままでもうまく使えばより愛着が増すものです。
漆器をお探しの方は、当サイトではなく漆器のサイトを探された方がよいでしょう。
- Q.20年寝かせると歪みはなくなりますか?
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これもサイト内で何度か書いています。たまに木を20年寝かせたので歪みがない、とかいう人がいるのですが、確かにその通りかもしれません。
ただ、私はそんな10年も20年も悠長な時の中で職人をしていることはできません。そこそこ売れなければ生活できないので、そんな先を見越して材料を用意できません。
そういう記述や表現を読むと、もしかして倉庫に積み忘れていた材をたまたま見つけて制作したのではないかと勘ぐってしまいます。まさに、私の場合はそうです。納屋を整理しているうちに昔買った材料がでてくるのです。あるいは銘木店で片隅に忘れられていた材を見つけるのです。そういう場合、歪みはほとんどありませんが、それでも、歪む時は歪むのです。杢の材料というのは、極論すれば歪みが宿命でしょう。
- Q.素木の器の磨き方を教えて下さい?
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このサイト内でも何度か書いていますが、木の器に磨き方の教科書はありません。お茶をこぼして磨くとか米ぬかで磨くとか、それはそれでいいのです。私自身もかつては試していました。
はっきり言って、磨き方は人それぞれでよいのです。それが木の器との付き合い方というものです。
知人が使っている欅の茶筒は、細かい傷はあるものの、何か塗ったかのような美しい光沢が宿っています。およそ三年間何か特別な手入れでもしたのかと思ったら、毎日手にして使うだけで何もしていないといいます。木からにじみ出る樹脂分がうまく表面を包んだのでしょう。
木の器との付き合いは、急いではいけません。日常使い触れることが肝要なのです。結果を急ぐと、やたらに光る器になってしまい、木の素材感は薄くなりかねません。
私の作る木の器は、最後の磨きをそこそこにしています。布でひたすら磨けば艶が出るでしょうが、それは使い手の愉しみというべきで、作り手が演出してはいけないのではないでしょうか。
- Q.茶筒の作るときのポイントを教えて下さい?
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茶筒はいわゆる蓋物で、木工旋盤を始めた人が最初に仕上げると、蓋と本体がぴたり合わさって感激するものです。しかし、茶筒というものは実に奥が深く、また、素木で作るときは歪みとの妥協が欠かせません。
ポイントは蓋と本体の合わせであると言いたいところですが、それは誰もが考えることで、私はあえて、内蓋のつまみと申し上げましょう。茶筒は外観のラインやエッジに器物としての品格が表れますが、木地師としての技はむしろ目立たない内蓋のつまみに凝縮されている、と私は勝手に考えています。
合わせの加減ばかりに気を取られて、内蓋の作りがとてもいい加減になっているものを散見します。目に付かない部分だからこそ、そして毎日指で触れる部分だからこそ、心血を注がねばなりません。私の場合、木地師として一木から刳り出すことにしていますから、つまみ部分の削りは特に神経を使っています。
木の茶筒の価格というのは分からないもので、土産物店で2000円を割る物を見掛け驚いてしまいます。多分海外で制作されたものでしょう。茶筒は技術の難度が高く職人として2000円で請け負えるような仕事では到底ありません。
- Q.木工ろくろや木工旋盤は手仕事といえるのですか?
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轆轤や旋盤という機械がなければ成立しないから手仕事でない、かんなやのみといった手工具を使うような仕事とは違うのでないかという疑問ですね。
ポイントは刃物を動かすものが手なのか、それとも自動化された機械なのかということです。
木工ろくろの世界はたしかに機械化が進んでいて、固定バイトでハンドルを操り、倣い加工することで大量生産が可能になっています。中国や東南アジアから輸入された挽物の中には、機械で量産されたものがあり、手仕事とは呼べないでしょう。
しかし、日本の挽物師の仕事は、熟練を要する手持ちバイトによる加工です。作品づくりの自由度や丁寧な仕上げは、量産システムとは全く別次元と言えるでしょう。刃物を自作するくらいなのですから、この仕事を手仕事といわずして何としましょう。
手持ちバイト(ろくろがんな)の扱いは、危険が伴います。毎分2000回転近くで回る木材に、一瞬でも気を緩めると、刃物がガガッガと食い込みバーンと弾け飛んでしまいます。当たり所が悪いと命を落とすこともあります。台かんなであれば、刃先の研ぎ具合と下端調整が重要です。これに対して、ろくろがんなは道具そのものの調整より、材料に対して刃先の当たる角度の加減が最も難しく、これはひたすら経験を積んで会得するしかないのです。
- Q.オイルは木の表面の汚れを防ぐのですか?
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オイルフィニッシュによって汚れを防ぐ。最近の日本人はきれい好きですから、そういうと、必ずオイルを塗った方がよいように思いこみがちです。日頃手入れしていてやや色が鈍くなってきたとすれば、手垢が付着した汚れとみるか、味わい深い経年変化とみるか、見方の違いです。確かにオイルを塗れば汚れは防げるでしょう。しかしどれだけナチュラルだからといって、オイルを塗れば木の風合いは必ず変質してしまいます。潔癖を極めれば、たとえばパソコンのキーボードやマウスにまでオイルを塗った方が良いということにもなりかねません。塗装をどうするかは、使い手が経験的に判断していただくしかないと思います。
- Q.辺材(白太)部分を意図的に木取りするのはなぜですか?
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白太は一般的に軟らかく歪みやすいとか腐りやすいとか短所ばかりが指摘されています。
確かに辺材部分を外して作ればよいのですが、忌み嫌うべきとも考えていません。あればあったで、アクセントになったり変化がでることがあると思います。白太を入れることで、一度見たら忘れられないような容貌に仕上がったりすることがあります。
欅の場合、美しい杢は樹皮側に出ます。当然、辺材部分ぎりぎりに木取りすることになり、白太が入ってしまうことがあるのです。あくまで臨機応変であり、形を変えて外すこともあります。作り手の自然体と理解してください。
- Q.規格のそろった茶筒や急須台は作らないのですか?
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コンパスなどのゲージを使い、同じ寸法のものを作るのは難しくありません。5枚組みの茶托などはそうしています。要望があるようでしたらそれに沿って作ることができます。リクエストしてください。
ほとんどのものを規格化しないのは、木取りができた大きさを大切にしているためで、規格化のためにわざわざ必要以上削らなくてもいいのでは、という考えからです。ただ、強いこだわりがあってそうしているわけでなく、作り手の自然体と理解してください。
- Q.ほんとうに樹齢千年の杢はあるのですか?
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やや耳の痛い質問です。大上段に構えすぎたサイト名であると反省半分です。樹齢千年というと、平安時代に芽を出した樹を伐った材ということになります。天然記念物ともいえるような木が流通しているのか、と思ってしまいます。そうした樹が伐られることは最近では滅多にありません。ただ、樹齢が数100年とみられる巨木がたまに流通することはあります。それにしても、100年でさえ気の遠くなる時間でしょうに、千年というと日常的でない歴史的な時間感覚です。
樹齢推定というのはとても難しく、樹齢7000年と言われたあの縄文杉が後に2000数百年と下方修正されたのは有名です。樹齢1000年以上と言われる天然記念物の中には、数100年が妥当というものもあるそうです。ちなみに、世界最長寿の樹は米国のブリッスル・コーンパイン(松)で年輪測定で約4770年とされています。あのジャイアントセコイアは約3200年だそうです。
「千年の杢」は、樹齢千年ともみられるくらいの、すばらしい木目というふうに解釈してください。製材されたものから樹齢を割り出すことは基本的にできません。
- Q.素木のお盆にお茶をこぼしたとき、どうすれば?
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盆全体にすぐさまお茶をこぼすように広げ、均一に拭き上げます。水やお茶に濡らすと一時的に光沢はなくなりますが、丁寧に拭けば光沢は戻ります。こぼれたと気づいたらすぐに拭きます。
茶碗や急須の糸底部分の跡(輪染み)が乾いて残ったときは、残念ながら回復はかなり難しいことになります。サンドペーパーで磨き直すしかありませんが、その跡が深く染みこんでいる場合はそれも無駄な作業になります。
素木の盆を使うというのは、お茶がこぼれたら拭くという基本動作ができるか、それとも少々跡がついてもお構いなしに使い込むか、どちらかの心構えがいります。
- Q.ナチュラルエッジは挽かないのですか?
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樹の自然な輪郭をそのまま生かして作る木工芸品を、ナチュラルエッジまたはフリーエッジといいます。いずれ適当な材にめぐり会えば挽いてみたいと思いますが、現在は挽いていません。
近年、そうした挽物をよく見掛けますが、それ自体はそう新しいことでもありません。特に、海外の挽物師(ウッドターナー)の間で瘤(バール)材を生かす仕事として注目を集めており、それが西洋ロクロとして日本に輸入されたような感があります。日本の伝統的な木工ろくろの世界では、バールとナチュラルエッジの組み合わせはあまり注目されていません。ただ、日本の美意識と合わないわけではなく、今後そういう木の生かし方はもっと評価されてもいいでしょう。
当工房の南天香合や南天棗などは、広い意味ではナチュラルエッジです。
- Q.挽物の善し悪しの見方は?
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難しい質問です。最もわかりやすいチェックポイントを一つだけ挙げておきましょう。回転の中心付近の凸凹です。斜め横から光を反射させてみるとすぐ分かります。漆を塗ったものは特に優劣がはっきりします。最近はそのような手抜き品は減っていますが、丸盆でも茶筒でも廉価品にはまだ多いようです。
- Q.ナラを使った器はありませんか?
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ナラの無垢材は家具や学習机の高級材料として知られていますが、挽物の材料としてはあまり一般的ではありません。硬いのですが趣に欠けるのです。銘木としては、欅などと比べると格下に扱われています。だからというわけでもないのですが、私自身もナラの神代を少し挽いたことがある以外、これはいいという材に出会ったことがありません。
- Q.のみ跡を残した器はありませんか?
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木目重視の考えなので、基本的にはありません。例外的に、藤原盆のように外部に依頼して彫り込むこともしています。
のみ跡を残した盆、はつり盆などと言われるものは、轆轤や旋盤で刳った後にわざわざ彫りを入れるわけで、確かに手作りの趣がありますが、木目を相殺するという点も考慮しなくてはなりません。
要望があれば検討いたします。
- Q.茶筒に匂いはこもりませんか
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いい茶筒の条件の一つに、茶の香りを損なわないというのがあります。しかし、密封容器というのは大なり小なり内にこもる匂いという問題を抱えています。漆器でも金属製品でも制作直後はにおいます。結局、どううまくなじませるかがポイントになります。
白木地で密閉性の高い茶筒・茶入れの場合も、最初は茶の葉以上に匂いがこもる場合があります。私自身、さまざまな対処法を研究していますが、とりあえず次の方法が簡単なので試してみてください。抹茶の微粉末を入れて数回振り、1、2日放置します。導管(木目の細かい穴)に微粉末が入り込み、匂いを打ち消します。
木の匂いに極めて敏感な方は、梅や神代欅など、もともと匂いの少ないものをおすすめします。
- Q.茶筒のふたの合わせ部分がきついのですが
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茶筒や茶入れのふたの合わせは、きつすぎるものについては微調整が可能です。木は生きた素材ですので、湿度によってわずかに伸び縮みします。漆器だと調整が難しくもともとやや甘めに作ってありますが、白木は微妙に削り調整できます。よく乾燥した環境で使う方で、しばらく使ってみられて「どうもきつい」というかたは微調整いたします。潤滑油などは絶対に塗らないでください。また、いったん甘くしてしまいますと、元に戻せないので慎重な検討が必要です。お使いの環境の湿度などをメモして、まずメールでご相談をいただき、こちらに送っていただければ無料にて対応いたします。恐縮ですが、片道の送料はお客さまがご負担ください。
- Q.茶筒で、ふたと胴の木目がきっちり合うように作れないのですか
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そういう技法があることは知っていますし、実際製作していたこともあります。しかし、当工房の茶筒は組んだり継いだりせず一木から作ることに重点をおいていますので、ご容赦願います。「一木から」というのは、外ふたと内ふたと胴(身)がきちんと隣り合う材であるということです。量産品ですと、ふたの材と、胴の材が全く別の木から木取りされているということもままあります。
ふたと身の木目をそろえたいという美学は分からないでもないのですが、大量生産のプラスチックなどと違う素材であるという大前提を考えれば、やや無理のあるこだわりではないですか。
- Q.檜でつくった器はありませんか
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今のところ檜ではつくっていません。十分な材料が適価で手に入らないためです。寺院建築などで使われる檜が建材として素晴らしいのは言うまでもありません。古代の挽物の傑作とされる百万塔の塔台は檜でした。ただ、器として優れた材かどうかは意見が分かれるところでしょう。針葉材ゆえに、木理が淡泊ですので、面白みに欠けるというのも積極的に挽かない理由です。
- Q.木目重視に偏りすぎていませんか
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WEBで紹介する作品は、木目の良いものを選びがちになっており、その点は反省しなければならないようです。私としては、樹木が何百年という歳月をかけて描いた杢の美、畏敬の念すら抱かせる銘木の世界を、じっくり鑑賞いただきたいのです。しかし当工房は、まず芸術品でなく実用品を作ることを基本にしていますので、実は手頃な価格帯の盆や茶筒など多様な木の器を制作しております。
「木目が良いだけで」と言われますが、プラスチックなどの無機質な素材に慣れきった現代人は、有機素材でできたモノの価値というのを十分に理解できなくなっていないでしょうか。銘木というのは、木を愛でる日本人の心が育ててきた素晴らしい価値観です。私は世界を歩いたことはありませんが、これだけ多種類の樹が育ち、これだけ多様な木目がみられるのは、四季がはっきりして起伏に富んだ日本しかないのでないかとさえ思っています。さまざまな木目をご覧になれば、私が言う「一期一会」という意味も分かっていただけると思います。「木のぬくもり」というのにも、さまざまな温冷感があるのを是非、感じとっていただければ、と願っております。
- Q.工芸会に所属していないのですか。伝統工芸士ではないのですか
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伝統工芸の世界は、2つの流れがあります。一つは日本工芸会と文化庁が主催する「日本伝統工芸展」の流れ。もう一つは「伝統的工芸品」という流れで経済産業省所管になります。芸術と産業といえば分かりやすいでしょうか。「伝統」と「伝統的」という表記の違いがあり、前者はオリジナリティーが求められ、後者は実用性や価格が意味をなします。2つの流れは相反しているわけでなく、どちらにも名を連ねている木地師はたくさんいます。
伝統工芸士は、職歴12年以上で受検できる認定資格です。財団法人「伝統的工芸品産業振興協会」が認定します。消費者にとっての目安というべきもので、職人の立場で私はあまり頓着していません。
組織に所属し、公募展に出品を重ねて自己研鑽していくという人たちが多いのは知っています。が、良い材に出会い、良いものを作るという点を突き詰めるなら、自由時間を確保し、全く自由な身で制作活動した方が良いと私は考えています。実際、作家と言われる人たちを上回る良い仕事をする無名の職人たちを工芸分野全般で見てきました。展覧会に出品することでより高い次元の仕事を目指す意欲がわくという人もいるでしょうが、私は全国のろくろ工芸を自ら見て回ることで意欲を高めてきました。また、伝統とは違う「新しさ」を目指す心も大切にしたいと考えています。
なお、田中ロクロ工芸は庄川木工協同組合の一員であり、庄川挽物木地は1978年に伝統的工芸品(工芸用具材料)の指定を受けています。
- Q.椀や盛器は作らないのですか
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轆轤と旋盤、ルーターを自在に使い、あらゆる挽物を作れるという自負はあります。しかし、いくら狭いと言われる工芸分野であっても、どの挽物師にも得手不得手があるものです。私の場合、この歳になると、いわゆる加飾挽きを身につけようとも思いません。汁椀は、もともと塗りを前提にしたような器ですので、私はほとんど挽きません。上手に挽く人が他にいます。盛器も、実用度を考えてあまり挽きません。