工芸作家ではなく職人として
田中正夫(たなか・まさお;正峰)
「良い材料を見つけたい。自由な時間に良いものをつくりたい。そのため工芸作家としての活動は控え、自立した木地屋(木地師)として制作・企画・販売に専念しています」
- 1935(昭和10年)富山県庄川町生まれ
- 1953(昭和28年)挽物木地の技を学びはじめる
- 富山県庄川町で轆轤、石川県山中町で木工を修業
- 1973(昭和48年)田中ロクロ工芸を創業
- 1980(昭和55年)富山県伝統的工芸品コンクールに出品
- (欅盛器=富山県知事賞)
- 1981(昭和56年)全国伝統的工芸品展に出品
- (欅盆=伝統的工芸品産業振興会会長賞)
- 以後、公募展への出品はやめ、職人としての木地屋に専念。
- 1984(昭和59年)地元井波町が欅玉杢大盆を買い上げ、来町のカーター前米大統領夫妻に贈呈
- 以後、約5年に一度、砺波市などで個展。
- 1995(平成7年)6月 砺波市で木地師仲間である石川県山中町の平田秋平氏と「挽物展」。
- 1997(平成7年)6月 砺波市で個展。
- 1999(平成11年)7月 長野市で「木地木工三人展」。長野県山ノ内町渋温泉の西脇佳三氏、平田秋平氏と出展
- 約30年前から皇風煎茶礼式を週1回習う。師範。最近は抹茶も。
- 時間が空けば、全国各地の木地師や伝統工芸を訪ねている。
- 庄川木工協同組合組合員
思い出に残るカーター元大統領
創業して以来、最も印象に残る出来事といえば、カーター米元大統領の来店です。昭和59年5月、縁があってカーターご夫妻が富山に来県し、井波町にも立ち寄られました。当工房にあった欅の盆を町がたまたま買い上げてご夫妻にプレゼントしたのですが、問題はこの先です。
カーターさんは初め、町内の刃物屋さんに立ち寄ったのですが、そこで思いついたように「あの盆を作っているところを見たい」と言い出したというのです。何でも親か祖父が木の仕事をしていたらしく、木工には興味があったのでしょう。全くの予定外の行動で、町役場の職員が慌てて私の店に来て「カーターさんがやってくるので実演してくれ」と頼みました。
当時、井波町の中心部に共同で店を構えていました。私は、ガラスケースの中の轆轤で仕事を始めました。そのうち、店の中に人だかりができました。ガラスケースの中では、顔を挙げてあいさつするのも変だと思い、一心に木地を挽きました。
私自身は、カーターさんの顔をみることさえできませんでしたが、木工を愛する心は通じたのではと思っています。日本の木地師の手仕事を間近でみていただいたというのは、大変光栄なことでした。