千年の杢−木の質感を生かした器

歪みと向き合う

木が暴れる、木が動く、木が狂う。

木で作った器がひずむことを一般にそう表現しています。私は「木が驕る(おごる)」といっています。富山県西部の方言でしょう。

角盆素直な板目に見えるが、挽いた後で曲がった欅盆。
こんなに暴れるのは珍しいが、これがこの木の性。

木工芸というのは、木が歪むことをいかに抑えるかがポイントの一つであり、乾燥や塗装に関する知恵を長年にわたって蓄積してきました。しかし、実のところ、何十年乾燥しようが、どれだけ塗装しようが、それでも歪む場合はあります。「10年間乾燥したので歪みません」とかいう言い方は、何ともいぶかしい感じです。複雑な木目であればあるほど、刳ることで材の内部バランスが徐々に崩れます。いや、材が少しでも安定した状態へと動こうとすると言った方がよいでしょう。

確かに、漆を何度も塗り重ねて固めたり、つき板を接着剤で張り合わせたりすると、歪みのかぎりなく少ない物ができます。しかし、それでは木の素材感は希薄になります。漆の層の下に永遠に隠されるか、あるいはプラスチックを覆う薄い皮に描かれた木目模様と化すのです。もちろん「それが良い」「それで良い」という声も多いのですが…。

プラスチック全盛の現代では、木の歪みに対してマイナスの見方ばかりが先行しています。最新技術でいかに歪みを抑え、歩留まりを上げるか。それが木質材料の課題になっている感があります。

挽物の歪み対策

伝統的な木工は巧みです。建築材の場合は、木表木裏をみて製材し、歪みを計算に入れ柱を組み、歪むことで自然と強固な木組みになるようにするのが大工本来の技とされています。指物でも家具でも、同様に、歪みを逆手にとって堅結させる知恵が今も生きています。

挽物でも木を取り扱う基本はあります。盆の場合、歪むことは承知の上で木裏を表に木取りしますし、粗刳り(粗削り)という工程を重視するのは十分木を暴れさせてからという考えに基づいています。そして、仕上げ削りでは盆裏面の平面を極めてわずかくぼませて、歪み対策としています。挽物は、木を削るだけで組むわけでないので、これ以上これ以下の歪み対策はないのです。

想定を超えて盆が歪むというのは、杢物を扱う挽物師にとっては、本当に悩ましい問題です。最新技術なら、高温スチームをかけながら機械で圧力をかける方法でかなり戻るのかもしれません。伝統的な曲げ木の世界でもそういう方法があるでしょう。しかし、挽物の場合は、材が安定状態になる動きを見せたのに、それを熱で戻すというのには、どうも抵抗感があり賛成できません。

当工房では、そうした歪んだ物はそのまま眠っています。その中には息をのむような美杢が少なからずあります。あまりに歪みがひどくガタついて機能を果たさなくなった代物もあります。盆裏側にパッチみたい物を貼り付け、水平を維持する方法がよいかもしれません。これだと木そのものへの負担も少なくて済みます。

歪みの許容限度は

どのくらいの歪みまでを許容するかは、感覚的な問題で、使い手によって差があります。畳の上で使う分ならほとんど目立たないものでも、硬い机の上に置くとがたつきが途端に気になり出すものです。木が本来歪む天然素材だという基本認識があるかないかで、ずいぶんと変わってきますが、畳の上で気にならない範囲は許容していただきたいというのが私の願いです。

驕る木を人が技で制する。こう書くとはすばらしい気もします。が、それは人の驕りであるかもしれません。巨樹・老木が千年かけ描き出した絶妙な褶曲の木目は、人知を超えて動くものなのでないか。これまでの経験から私はそう感じています。もはやそれは止めるべきでなく、それが第二の命を生きる木の本能である、というしかないのではないでしょうか。だとするなら、木の歪みに人はもっと謙虚に寛容であってよいと思います。

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